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    昭和26年(1951年) 石森管楽器は日本管楽器(ニッカン)でも随一の職人と謳われた石森善吉により1951年に石森管楽器修理所として新宿区西大久保(現・新大久保地区)に開業。職人としての技術は勿論だが、楽器開発へのアイデアも持ち合わせたアイデアマンであった善吉は、現在の楽器製造にも欠かすことの出来ない技術を生み出した。修理のためのパーツや工具は、全て手作り。その丁寧で繊細な仕事ぶりは、息子である実へと受け継がれていく。 昭和30年(1955年) 善吉の急病により、息子の石森実が17歳の若さで石森管楽器修理所を引き継ぐ。確かな修理の技術は、口コミを通じて当初はクラシックの演奏家達の間で話題となり、1950年代終わりごろからは、スタン・ゲッツ、ズート・シムズ、ソニー・ロリンズ、ジェリー・マリガンらといった海外のジャズミュージシャン達も訪れるようになる。この頃、中古楽器を修理しての販売をスタート。当時きちんと整備された中古楽器の販売は非常に珍しく、大変な人気となった。 昭和43年(1968年) 修理所を大幅に改装し、工場(こうば)を拡張。修理の機材が充実し、磨きからラッカー付けまで、オーバーホールに至る全工程を自社内で行うことが可能になった。当時、一修理工場でオーバーホールまでの全工程を自社内で出来る設備を備えた工場(こうば)は数えるほどしかなく、当時としては斬新な導入であった。この頃から石森管楽器では、完全調整した新品の楽器を販売していたため、優れたコンディションの楽器を買おうと、はるばる遠方からもお客様が訪れるようになった。 昭和54年(1979年) 長男の石森智哉が石森管楽器へ入社。 昭和58年(1983年) 次男の石森信二が石森管楽器へ入社。 昭和61年(1986年) 新宿区百人町2丁目にウッドストーンビルが完成。 店舗を移転し、地下に試奏室2部屋と販売フロア、2階・3階に修理フロア、4階にレッスンスタジオを設け営業を開始。 修理は増員・拡張し、さらに幅広い修理に対応できるようになった。販売フロアではビンテージサックスの品揃えを強化し、取扱商品も大幅に増やした。また、地下の試奏室を使って、ゲイリーバーツ、デヴィット・サンボーン、マイケル・ブレッカーといった錚々たる顔ぶれによるクリニックも開催されるようになった。 このころ、石森管楽器のオリジナルブランドである、”ウッドストーン”初の商品となる リガチャーのプロトタイプが完成。何から何まで全て手作業による、まさに総ハンドメイドリガチャーであった。開発者であり技術者でもある石森信二は、様々な商品のデータを収集し、あらゆる角度から検証・解析、プロトタイプの製造を繰り返し、試行錯誤を経てウッドストーンとしては初の商品となるリガチャーを生み出した。 信二はリガチャーと並行して、膨大な数のメーカーのリードを研究、ウッドストーンオリジナルリードの開発を開始。 店舗を移してからは、デヴィット・サンボーン、マイケル・ブレッカー、ケニー・ギャレットといったミュージシャンらが訪れるように。 平成4年(1992年)12月 事業の拡大に伴い、社名を「株式会社石森管楽器」に変更。 平成15年(2003年)10月 新宿区百人町1丁目にイシモリビルが完成。 ショールーム、ライブスペース、レンタルスタジオ、リペアルームを備えた新店舗をオープン。大幅に拡大したショールームでは取扱商品もさらに増え、管楽器が整然と並ぶ様子は壮観。 プレオープニングイベントにて、山中良之カルテット及び渡辺貞夫、ピーター・アースキンによる飛び入りのステージが行われる。 ウッドストーン商品のラインナップも充実し、2008年にはヤマハとの共同開発モデルYAS-82Z WSアルトサックスを発表。そのクオリティーに、国内外のプロミュージシャンからアマチュアのプレイヤーまで高い評価を得ている。 2010年10月にはウッドストーンとして初のテナーサックスを販売開始。 多くのプレイヤーから絶賛を浴び、注目を集めている。

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