今回は、そうして時間と苦労を費やした暁に、あぁ私の音楽世界はどうなってしまうの?ということにお答えしたいと思います。どうぞ宜しく。
ある日、かのハービー・ハンコック氏はマイルスバンドに加入したての頃、どんなに練習してもマイルスの様に“一音で聴衆をノックアウト”するプレイが出来ず、思い悩んでおりました。
そこで、おもいきってリーダーであるマイルスに「どうしたらあなたのようなプレイが出来るのですか?」と質問したところ、マイルス師曰く、「練習すんのやめてみろ。」と、おっしゃったそうです。
これを真に受けて全く練習しなくなったハービー。
するとどうでしょう、気に入ったフレーズが次から次へと・・・。
この話を楽器を始めて間もない新入生のA君が、「よし頑張って練習しないぞ!」と心に誓い、4年間の学生生活を送ったとしたらどうなるでしょう。
果たして彼はスーパーヘビー級のプレイヤーに成長しているでしょうか。
こんな話を唐突に、道徳の授業よろしく書いたのには理由が有ります。
「音楽理論は自分の音楽世界を狭めてしまう」「音楽理論は作曲やアレンジをする人がやるもので、自分には全く必要ない」などという考えは止めて欲しいのです。
確かに、ジミ・ヘンドリックスは理論に弱かったかもしれませんが、ジミヘンのサウンドを嫌いな人はいないし、もしいたとしたら、相当頭がイカレテいる筈なので直ぐ病院へいったほうが良いでしょう。(いや、いいんです、嫌いでも。)
話がまた逸れてしまいましたが、ジミヘンは、いいんです。天才だから。
もしもあなたが自分を10億人に一人の天才だと思っているなら、“LCCOTO”は無用です。
さらにもし、ジミヘンが、もうちょっとだけ長生きして、ギル・エバンスか誰かに音楽理論をバッチリ習っていたら、と思うと寒気が(善い意味で)します。
音楽的な天才の話をもう少し。
J.S.バッハが天才であることに誰も異論は無いでしょう。
ジミヘンとバッハに共通している資質。おそらくそれは“音を聴く”というセンスがずば抜けていたということだと思われます。
音列をつくり出していくテクニックが素晴らしかっただけなのではなくて、調性(いわゆるキー、トーナリティー。ドレミファのドが何処にあるかということ。)を聴きわける能力が“天才的”だったのだと思います。
ジミヘンはギターとセックスしたから天才なのではなくて、あのなんともいえぬ“へたうま”のボーカルとか、ギンギンにかかったディストーションからくりだす分厚いコード、せつなくも、あぶないチョーキング。
ああいったものは物凄く乱暴に見えて(あるいは聴こえて)その実、ジミヘンはそれを自分の耳で聴きながらコントロールできたからこそ天才だったわけです。
それでは10億人に一人の貴方を除くわれわれ凡人がそういった音や調性を聴く力を付け、さらにそれをコントロールしていくにはどうずれば良いのでしょう。
それには音とか調性とかが何者なのかをとことん知るべきです。
音。空気の振動。
スピーカーから流れるマイルスの「プィー。」も音ですし、隣のおっさんのイビキも音です。
だけれどもこの両者には明白な違いがありますね。
マイルスの音は音程がはっきりありますが、おっさんが発する「ふが、ぶいー。」には音程があるような無いような、よくわからない音です。
ガラスが割れたり、始めたばかりのバイオリンの音も音程がはっきりしない音です。
音程、つまり音の高さがハッキリと識別できるかできないかは、その音が持っている倍音列に関係してきます。
話がやっと具体的になってきました。
こうなってきて、「バイオンレツゥ?話が俺には難しくっていけねぇや」と言わず、お付き合いください。
先のマイルスの言葉に、「自由になるということは、でたらめになるのとは違う」というのがあります。
知識を得た上で、それを越えていく作業。
倍音列の話は次回へつづく。
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